2017年7月13日木曜日

ブログ久しぶりの不具合

原因が私にはわからないのですが、ブログに写真が投稿できないのであります。

たまに、こんなことを繰り返していますが、いまだに行き当たりばったりの解決策、、、学習能力がないのです。

と、いうわけで、今日のブログは写真がありません。
しかもまた個人的に調べているキューバのことを書いたりする予定なので、果てしなく読みにくくて、面白くないかもしれません。すみません(T▽T)

今日はミントピンクさんが新作を持ってきてくださったので、張り切って写真を撮ってご紹介しようと思ったのですが、それもならず。。

布草履の新作もたくさんかわいいのがあるので写真撮ったけど…それも紹介できず。。

明日には復活させたいと思っています。

なので、ここからキューバの歴史のつづきを 、、始めさせて頂きます。

1959年のキューバ革命から 。。

キューバ革命後、フィデル・カストロが首相に就任。
革命政権は農地改革法を実施し、砂糖よりも食料になる作物の生産に力を入れた。そして、製糖産業などでアメリカ資本に握られていた土地と産業を国有化し、社会主義国の建設をすすめる。

1960年、ソ連と正式な外交関係を結ぶ。
アメリカ政府との対立が決定的に。

1970年代は憲法が制定され、社会主義化が法制化した。
内政面では、医療や教育に重点を置いた国づくりが行われた。
文化面では、映画や美術やアフリカ系文化の復興運動が進んだ。
外交面では、エチオピアの戦争やアンゴラ内戦などに兵力を派遣した。最盛期には52000人の兵を送ったといいます。

1980年代はエチオピア、アンゴラから撤退。冷戦が終結し、1991年にソ連が崩壊すると、それまでキューバ産砂糖とソ連製の石油をバーターで取引してきたキューバの経済構造の基盤が大打撃を受け、経済にかつてない規模の衰退に陥った。
経済崩壊状態に陥ったキューバから脱出すべくイカダでアメリカへ亡命する人が急増した。
フィデル・カストロ政権は国営企業の民営化、経済競争の面の自由化、観光業の振興を軸に経済の再生を図った。

2008年、フィデル・カストロ退任
弟のラウル・カストロ就任
ラウルは就任早々、規制緩和を次々打ち出し一般国民の携帯電話所持やホテル宿泊、家電製品購入などが自由にできるようになった。

2009年、キューバと日本は外交関係樹立80周年を迎えた

2010年、革命以来初めて自営規制を緩和。そのため個人事業主になる人が爆発的に増加し、みやげ物やレストラン、民宿などあちこちにみられるようになった。

2014年12月、革命以来対立していたアメリカとの国交正常化を発表

2015年7月、両国に再び大使館が開設

一方で中国資本が大量に流入している

社会主義国がどんな生活をしているのか、あまりよく知りませんが、医療費と教育費は無料だけれど、食料は配給制だそうです。
今、旅をするならどこの国か?という質問には『キューバ』という答えが多く聞かれるそうです。
今、どんどん変わってきているキューバを今のうち昔の雰囲気が残っているうちに見ておくべき、と言われています。

私もキューバの音楽が好きになって、あとから詳しく歴史をたどってみたら、ずっと戦っていて、政治も落ち着かず、食べ物も少なく、自由にものも買えず、、、
そんななかで、どうしてあんなに美しくて明るい音楽が生まれたのだろう…
すごいなあと、本当に思います。
人間の強さを感じます。
ますます惹かれます!

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